全校集会「学校給食の父」
2022年10月11日 10時59分 今回の全校集会は「学校給食の父」をテーマに、齋藤寿雄先生について話しました。
今から約90年前(昭和初期)、群馬県の子どもの体格は全国的に見て劣っており、病気にかかりやすく運動能力も低い状態でした。当時、富岡市に住んでいた齋藤先生は、群馬県医師会の会長等をされており、「医者の仕事は病気を治すことだが、それ以上に、病気にならない身体を作ることが大切。健全なる精神は、健康な身体に宿る。健康な身体は、栄養がそのもとになる」と栄養摂取の大切さを訴えました。
そこでまず、栄養改善事業に取り組みました。齋藤先生が選んだ場所は、旧福島町多井戸(おおいど)地区(今の甘楽町小川)。ちょうどいい人口と世帯数でした。県の栄養士が毎日の献立を作り、カロリー計算されたおかずを配ったことで、多井戸地区の人たちの食事は充実しました。そして、この事業に近隣地域の人たち(福島小校区の人たち)が賛同し、この事業をぜひ学校給食に取り入れてほしいと要望しました。
齋藤先生は、何度も町役場や学校、保護者を説得して回り、ついに学校給食(栄養給食)が始まりました。
食材は肉と魚を町のお金で買い、野菜は学校の畑で子どもたちが作りました。栄養士の指導でカロリー計算を行ったおかずを学校の調理室で調理し、全校児童約750人分の給食を作りました。これが日本での学校給食の始まりです。
学校給食のお陰で、福島小の子どもたちの身体は丈夫になり、病気にかかりにくくなりました。
日本で最初の学校給食を記念して、福島小の校庭南には「学校給食の記念碑」が建っています。
↑昭和天皇陛下が学校給食の視察のために使者を派遣されました。
その時の視察の写真です。齋藤寿雄先生は、最後列左から3人目です。