「群馬県民の日」について
2025年10月27日 16時00分「群馬県民の日」がなぜ10月28日なのか、お伝えします。
https://www.pref.gunma.jp/site/monjyokan/130293.html
こちらのURLは、群馬県立文書館(以前、勤務していました。)の資料紹介のページになります。
この資料「群馬県の成立」には、群馬県がどのようにして今の群馬県となったのか、分かりやすく書かれています。余談ですが、欄外に、この文書が書かれた当時の県令(県知事)楫取素彦の印、その他県幹部の印が押されています。
明治4年10月28日、最初の「群馬県」ができました(第一次群馬県、この時の県令(県知事)は青山貞:あおやまてい)。その後、明治6年、群馬県・入間県が統合され「熊谷県」となり、明治9年に熊谷県が「群馬県」と改称されるにあたり、県域の一部(旧武蔵国の分)が、埼玉県に編入され、現在の群馬県の県域が確定しました(第二次群馬県 この初代県令が楫取素彦:かとりもとひこ)。「つる舞う形の群馬県」は、この時(明治9年8月)からなのですが、「群馬」という県名が最初に使われた明治4年10月28日を群馬県の誕生として、10月28日が「群馬県民の日」となりました。
現在、群馬県の県庁所在地は、前橋市ですが、それは、いつからでしょうか? そして、その前は、どこに県庁所在地があったでしょうか? この資料に書いてあるので、調べてみてくださいね。
(おまけ)
上毛カルタで「つる舞う形・・・・」とうたわれ、つるが羽を広げて飛ぶイメージの群馬県の形ですが、昔は、海にいる「エイ」の形といわれていたこともありました(明治16年 群馬県統計書)。海なし県なのになぜ?と言うところですが、第2次群馬県の初代県令である楫取素彦(4年生が旅行で見学した臨江閣の本館・茶室を作らせた人)は、長州(山口県)出身、他にも、長州、薩摩、土佐など海のあるところ出身の人が、政府や各県の要職についていたこともあり、群馬の形を「エイ」に見立てたのかもしれませんね(つるの首の部分が、エイの尾になります)。